司馬遼太郎の
「竜馬がゆく」(全8巻)を読了。大作ゆえに今まで読む機会を逸していましたが今回の冬休みに一気に読みました。
この本を通じて改めて彼の人生を追ってみるにつけて、彼の人格と実行力に感服しました。もし「坂本竜馬という奇跡」が存在していなければ、薩長連合・大政奉還等の幕末の大転換も起こり得ず、となると弱体化する幕府と各藩との間で内乱勃発→幕府を支援するフランスと薩摩を支援するイギリスとの間の代理戦争→国力が弱りきったところに各国列強が押し寄せて事実上の植民地化といった清国同様な運命を日本も辿っていたかもしれません。
作者が文中でも書いていましたが、この時期に彼のような人間が生まれ育ち、土佐藩郷士という低い身分ながら勝海舟を始めとするよき理解者に見出されて大仕事を成し遂げたという事実は、混迷する幕末に天が日本を救うために遣わした使者としか思えません。事実は小説よりも奇なりとはまさに彼の生き様だと思います。
僕がまず驚いたのは、彼の
「物事の時流・本質を見抜く目」です。300年続いた徳川幕府の常識に一切囚われず自由に発想し、その時代にあって士農工商の身分のない平等主義、議会による民主政治があるべき姿だという確信を持ったこと。そして、その実現に向けて本気で倒幕、あるいは大政奉還を企画し、敵であるはずの幕府や佐幕派の要をも説得して、遂にはそれを成し遂げてしまったこと。
また、頭で理解することと、それを他の人に理解させることは全く別物です。その意味で、彼のもう一つ常人ならぬところは、その理想を実現させるために
一切の私欲を捨てて取り組んだところ。それが彼の言動をもって相手に通じることで、初めて佐幕派の要人ですらもその身分や立場を超えて彼の思想に共鳴し、協力していったのだと思います。彼の無私の際たるものは、大政奉還を成し遂げ、新政府の骨子案を彼がつくった際に、新政府役人表(案)に自分の名前を載せなかった点に凝縮されていると思います。
薩長連合を遂げ、大政奉還を実現させた彼こそは新政府のリーダーとして活躍するべき人材と誰もが疑わなかったなかで、「おれは日本を生まれ変わらせたかっただけで、生まれ変わった日本で栄達するつもりはない」といい、岩倉卿・西郷・大久保らの倒幕派を立てることで新政府が確実に前進することを望んだわけです。
また、作中で彼は「仕事というものは、全部をやってはいけない。八分まででいい。八部までが困難の道である。あとの二分はたれでもできる。その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはできない」とも言っています。「事業」の大きさこそ違え、リーダーたるものはこうした気概を持って仕事に向かっていきたい、と思いました。
この8冊は「坂の上の雲」と併せて息子が相応の歳になった時にプレゼントするつもりです。今になって、
のび太のパパがのび太の誕生日にいつも偉い人の伝記をプレゼントする気持ちが初めてわかりました。